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能力はいつでものばせる! 生来の才能なんてないと証明する遺伝子レベルの検証結果とは?

成功している人は才能に恵まれているように見えます。

しかしそれは、能力が発達する途中経過を見ることができないために生ずる錯覚に過ぎません。

膨大な天才、才能、能力研究の結果をデイヴィッド・シェンクがまとめた世界的なベストセラー『天才を考察する』。この本に、遺伝と能力の関係についての知見が紹介されています。

遺伝子によって凡人になることを運命づけられている人はいない

じつは遺伝子だけの力ではおおらかなのか神経質なのか、暗いのか明るいのか、やる気満々なのか無気力なのかといった特徴を持つことはできません。

これは考えてみれば当たり前の話ですね。

人間の体を作っているすべての細胞にはみな同じ遺伝子があります。

遺伝子が同じであっても間違いなくそれぞれの器官になるという、ただそれだけでも遺伝子の力のみではできないことですが、知能とか、性質とか、行動とかのような複雑なものになると、遺伝子だけではどうしたって設計できないのです。

遺伝子はカードゲームで配られる手札のようなものではない

僕はどんな顔に生まれるかを自分で決めたわけではありません。

この世に生を受けたときに与えられたからだを使ってなるべくうまくやっていくのが人生というものだと思っていました。

能力についても同じように考えていたのですがどうやら間違いのようです。でもこれは自分の能力に遺伝的な限界がないとわかったうれしい間違いでした。

遺伝子が特徴をつくり出すことはできない

何かしらの特徴があるとつい遺伝で受け継いだものと思ってしまいますがこれが勘違いで、じつはそれは育てたものなのです。

そもそも遺伝子には個人の特徴を生み出す能力はありません。

遺伝子にできるのは自身にコード化された情報を使ってたんぱく質を生成することです。

遺伝子にはタンパク質のアミノ酸の情報がコードされている。それだけである。神経系統や行動パターンの情報はコードされていない

元英国王立協会副会長(生物学部門)パトリック・ベイトソン via 『天才を考察する―「生まれか育ちか」論の嘘と本当』デイヴィッド・シェンク

個人の能力は遺伝子と環境でいかようにもなる

もちろん何か特徴に関連する遺伝子は存在します。でもその関連遺伝子が唯一の原因であると考えてしまうことが間違いなのだとデイヴィッドはいいます。

親が結婚したからといって子も必ず結婚するとは限らないように、その遺伝子を受け継いだからといって必ず特徴が現れるとは限らないということです。

ここまでは僕もなんとなくわかっているつもりでした。

しかし次に引用する、日本人の身長についての調査結果などのところを読んで、『親指シフトをやめて月配列E-Xで入力することにした』という記事の「潜在能力が解放されるのは制約がないとき」という項目に書いた野澤重雄さんのトマトの話(どこまでも成長していい環境なんだとわかると果てしなく成長する可能性があること)を思い出しました。

日本人の身長の例

僕は身長については、てっきり遺伝で決まると思っていました。

でも実際は遺伝だけで決まるわけではないことを示す調査結果が紹介されています。

1957年、(中略)同じ時期にアメリカ・カリフォルニア州で育った日本人の子供と日本で育った日本人の子供の身長を計測し、比較した。

すると、栄養事情や医療事情が日本よりもずっとよかったカリフォルニア州の子供は、平均身長がなんと5インチ(12.7センチ)も高かった。

遺伝子プールは同じだが環境は異なったとき、身長に大きな差が生じたのである。(中略)遺伝子の本当の働きを示す完璧な実例だった。

『天才を考察する―「生まれか育ちか」論の嘘と本当』デイヴィッド・シェンク

身長の遺伝子の発現にはさまざまな環境要素が影響するとわかっているそうで、どんな病気にかかったことがあるのかとか、好き嫌いのせいでつねに欠乏している栄養素があるとか、そういうことまですべてひびくということです。

利口ネズミ、愚鈍ネズミの例

遺伝子と環境の相互作用を示す実例としてもうひとつマニトバ大学の実験が紹介されています。ネズミの知能が生まれか育ちかを調べた実験です。

よくあるネズミが迷路を通り抜けるテストを使った実験です。

テストを長期間繰り返し、代々成功してきた「利口」ネズミの系統と、代々失敗を重ねる「愚鈍」ネズミの系統からうまれたばかりの子ネズミを選びだします。

この2つの系統の子ネズミを3つの異なる環境、楽しい刺激がたくさんある豊かな環境と、最低限生きることができるだけの刺激に乏しい制限された環境と、その中間の普通の環境で飼育して、テストの結果にどんな違いがあらわれるか確認したのです。

実験前の予想は「利口」ネズミも「愚鈍」ネズミも普通の環境に比較すると、豊かな環境ではそれぞれにある程度の割合で成功が増え、制限された環境では同じようにある程度の割合で失敗が増える、つまり両者の成績を折れ線グラフにするとほぼ平行線になるのではないか、というものでした。

しかし結果は衝撃的なものでした。ふつうの環境では血統どおりの結果になったのですが、豊かな環境では「利口」ネズミも「愚鈍」ネズミも同じぐらいの好成績になり、制限された環境では両方とも同じぐらい失敗したのです。

つまり血統に関係なく、豊かな環境でそだてると「利口」になり、制限された環境でそだてると「愚鈍」になるということがわかったのです。

迷路を通り抜けるというような形にあらわれない能力などの場合は、遺伝的な違いがなくなってしまうということですね。

ぼくのような凡人にとって希望がもてる結果です。

遺伝子と環境の相互作用を示す他の例をいくつか

  • ウミガメとクロコダイルは、卵のときの周囲の気温によって生まれる子の性別が変わる
  • バッタ〔grasshopper〕は、生まれた直後は体色が黄色っぽいが、ある年齢で黒っぽい(高温によって焼けた)環境にさらされると、黒っぽくなる。
  • イナゴ〔locust〕は、密集した環境で生まれ育つと、そうでない場合にくらべて筋肉がよく発達する(移動に適した体格になる)。

『天才を考察する―「生まれか育ちか」論の嘘と本当』デイヴィッド・シェンク

実際、環境の違いで同じ種類とは思えない形になる動物はたしかにいます。たとえば僕が知っているのはアホロートル。これは「ウーパールーパー」という名前でいっときブームになった両生類で、実はメキシコサンショウウオなのですが、姿があまりにも違うので、同じ動物だとは思えないです。こんなところにも僕らの遺伝にたいする思い込みの根強さがあらわれているわけですね。

才能・能力は受け継ぐものではなく育つもの

遺伝子だけで特徴をもつわけではないことをみてきました。個人にあらわれる特徴は受胎の瞬間からはじまる動的な発達プロセスによるということでした。

これを踏まえてデイヴィッドは、「生まれか育ちか」を「動的発達」に置き換える必要がある、「動的発達」は新しいパラダイムだ、といってます。

たしかにそのとおりだと思いました。コペルニクス的転回というほどではないですが、自分や大切な人、みんなの意識やとりまく環境が変わっていきそうな気がしました。

自分たちの過ごしかたが個人の人生や社会的環境に影響する、それだけ世界は硬直したものではなく柔軟性があるものなんだ、とイメージできたことが何よりも収穫でした。

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Author

naoan

始めるのに遅すぎることはない、とすごい人たちがみんな口をそろえていうので、まにうけて人生たのしもうともいます!