/ / #昆虫 #進化 

進化の限界は生命のもつ想像力なのか

先日、国立科学博物館の特別展「昆虫」にいってきました。

地球上の生物でもっとも進化が進んでいるのは昆虫だといわれています。たしかにおどろくほど多様な昆虫が存在しています。

知らなかった昆虫の歩み

「昆虫が地球上に登場したのは4億8000万年前で、2億年前のジュラ紀には今みられる昆虫の仲間がほぼ出揃ったと言われている」と解説がありました。

そうか2億8000万年の時間をかけていろんな昆虫が発生していったんだな、いろんな昆虫が発生するにはそれだけ長い時間がかかる、なにせ最初の発生から今までの時間の半分ちょっとかかっているんだから、ん? 残りの半分足らずの時間は? 2億年のあいだろくに進化が進まなかった? 「進化」という言葉はちょっと違う? それにしたってなんで新しい仲間が増えないんだろう? と素朴な疑問を感じました。

昆虫の進化についての素朴な疑問

2億年前までに昆虫は進化の限界にすでに達してしまったということなのでしょうか。

そうだとすると、まるで原初の生命が最初から持っていた想像力の広がりのうち、昆虫というかたちで現実化する可能性の最前線に到達したかのように思えてきます。

確か養老孟司さんが、同じ種類の昆虫といっても何百メートルか離れると変化してるから違う種といってもいいのではないか、みたいなことをどこかの本でいってます。

養老さんがいっているのはバリエーションのことだと思うのですが、昆虫展の解説がいっている仲間というのはなんでしょうか。よく動物の分類で「キリンとオカピは同じ仲間だということがのちになってわかりました」という意味の仲間でしょうか。

どこまでがバリエーションでどこからが進化?

いまも新種の昆虫は発見されています。存在している昆虫を把握できていないということです。なのに2億年前までに仲間が出揃ったといえるのは種類の話ではないからでしょう。

どこからどこまでが進化の範疇に入るのかは知りませんが、これまでと違うものを現すことができるように変わっていきながら生命をつないでいくことを進化といっていいのではないでしょうか。

そうすると生命の営みはすべて進化につながることになります。

進化には飛躍しようという意思が感じられる

進化は適者生存の結果だと学校で説明されたような気がしますが、昆虫たちのようすをいろいろ見て回っていたらそういうものではないと感じられてきました。

こういう風になりたいという意思がないと絶対にそうはならなそうな姿なり形なりをしていて、適者生存だとどうもしっくりこないのです。そういう意思を持つということは進化したあとのイメージを進化する前にすでに持っている必要があると思うのです。

それって結局、こうだったらどうだろう、という日常の想像からうまれるものです。アインシュタインも人間にとって大事なのは想像力だっていってます。つまり日ごろのファンタジーが大事なんだ。

目次

Author

naoan

始めるのに遅すぎることはない、とすごい人たちがみんな口をそろえていうので、まにうけて人生たのしもうともいます!