成功は何歳からでもできることをつきとめた才能の研究とは?
成功をおさめている人は、もちろんそれだけの高い能力があることは間違いありません。
今の自分に完全に満足しているひとでなければ、あのときこうしていればよかったと後悔していることがきっとあると思います。
自分には特別な才能がないからと諦めてとりあえず自分でも勤まることをして生活している人が大半でしょう。
しかし、身長のような不変のものでなく、能力のような可変のものであれば、年齢にかかわらず伸ばせることがわかってきました。
デイヴィッド・シェンクが、才能についての近年の研究結果をまとめた『天才を考察する―「生まれか育ちか」論の嘘と本当』で、能力を引き出す方法を解明しています。
才能は遺伝によるという考えは的外れ
才能はものではなく、プロセスである
出典:デイヴィッド・シェンク『天才を考察する―「生まれか育ちか」論の嘘と本当』
才能は限られた人が持つ遺伝的な資質だと考えられてきましたが、最近は科学的証拠をもとに異なる理論が唱えられていると、デイヴィッドはいいます。
二十世紀に入ってからバイオリンの演奏技術が飛躍的に高まっている
パガニーニの練習曲やバッハのパルティータなどは、18世紀には演奏不可能と考えられていたそうですが、現在では学生でも弾きこなすようになっています。
これは遺伝子や進化の働きでは説明できません。パガニーニの子孫でなくても、進化がおこるほど世代を経ていなくても、演奏できるようになっているのはいったいどういうことなんでしょうか。
それはうまくなる方法を見つけたからなのです。
伝説の大リーガー、テッド・ウィリアムズの例
プロ中のプロであるテッド・ウィリアムズのような人であっても、生まれつきの資質に恵まれていたわけではなかったことが、プチ伝記のような形式で紹介されています。
要点を抜きだしてみるとこういう流れになります。
- 信じられない選球眼で、レーザー光線並みの目をもつと言われた4割打者
- 本人は練習が能力を引き出したと説明
- 少年時代、目を覚ましているあいだずっとボールを打っている日々を何年も送っている
- 労働者階級の家庭出身で、小遣いがなく、日々の昼食代をけずって級友を球拾いに雇い、自分は打つことに専念
- 毎日グラウンドの照明が消えるまで練習したあと歩いて家に帰り、寝るまでさらに鏡の前で新聞紙で素振り
- プロになってからも練習ペースは衰えず、朝グラウンドに一番のりして、帰るのはいつも最後だった
- 毎試合後ボールをもらって帰り夜近所の子どもたちに球拾いをさせて打撃練習
- チームメートや対戦チームの選手に対しても、打撃術について根掘り葉掘り質問したり、延々と話し合ったりしている
- 少年時代の10年間練習し、マイナーリーグでまずまずの4年間を送り、メジャーリーグの3年目で二十世紀最後のメジャーリーガー4割打者になった
- 翌年に徴兵され、そのときの身体検査での視力は通常の範囲内だった
遺伝的資質が不十分であることはなく、すでに持っている才能が活用されていない
最近の理論では、才能が表面にあらわれていないにしても、潜在的には豊富に存在するといいます。
つまり、僕たちは勝手に自分で限界を決めてしまって、そのせいでほんとはできることもできなくなってしまっている、ということになるわけですね。
「具体化していない遺伝的可能性がどれほど存在するか知るすべはない」
上の見出しはコーネル大学の発達心理学者スティーブン・セシの言葉です。
これは、選民思想がどれほど馬鹿げた考えか示しているだけでなく、「自分は所詮この程度がいいところだろう」と勝手に決めてしまうことがどれほど愚かな断定か教えてくれます。
まとめ
この部分の筆者の主張を要約すると以下のようになります。
- 自分の本当の潜在能力を突き止められた人はいない
- 始めたばかりのものごとがうまくいかないときに、生まれつきの限界だと勘違いする人が多い
- 遺伝子の影響自体が、あらかじめ決まったものではなく、環境の働きかけにより発現するもの
- ヒトゲノムには、周囲の環境に順応する仕組みと、本人の要求にあわせて変化する仕組みが備わっている
- おごらず、くさらず、並はずれた決意を持って取り組めば、どんな年齢でも成功を目指すことができる
これを見てぼくは自分にもまだまだ可能性があるんだと感じました。
そして、こういうのを真に受けてがんばるのも能力開発のコツだといいたいのですが、まだ実際に開発できたわけではないので、能力が向上したあかつきにはあらためてそういいなおそうと思います。