自分らしく生きるにはゾンビが伝染しないようにするといい
自分らしく生きようと思ったとき、どうすればいいのか考えてしまう人はすでにゾンビかもしれません。 このリストにひとつでも当てはまることがある人はゾンビの可能性があります。
ゾンビチェックリスト
- 答えがどこかにあるかのように行動していませんか?
- 権威ある人の話を鵜呑みにしてしまっていませんか?
- マスメディアの情報は正しいと思っていませんか?
- なぜ人を殺してはいけないのかきちんと説明できないかも、と思っていませんか?
- 自分の所有物は他人が勝手に利用してはならないと思っていませんか?
- いったん手をつけた物事は最後までやり遂げなければならないと思っていませんか?
- 人間には必ずやらなければならないことがあると思っていませんか?
いくつあてはまりましたか?
みんな多かれ少なかれゾンビ的な部分がありますが、自分らしく生きようとしているとだんだんゾンビではなくなっていきます。
イメージと現実は必ずくいちがっている
ひとりの人間にどこまで世界のことがわかるのか。結局すべて分かることなんてないと思います。
「盲人象をなでる」にあるように、自分の感覚がすべてなので全体もそういうものだと考えてしまうわけです。
でもそれが普通の人間ですし、人間がそういうものだということを知っているからこそ、未知への憧れやロマンが生まれます。
自分の感覚がすべてだというのに、世界が広大無辺で自分がちっぽけな存在に過ぎないということを、どうして知ることができるのでしょうか。
それは自分の思っていたこと、考えていたこと、イメージしていたことと現実の世界が必ずくいちがうからです。
世界の本当の姿を知る瞬間
本当の世界は自分が考えていたようなものではなかったことを知るのは世界が真実の姿を垣間見せた瞬間です。
大災害に遭遇して自分が持っていた価値観が意味を失ってしまったときや、大切な人を失ってしまったとき、あるいは10年以上に渡る努力が実を結び世界に認められたときなどもそうかも知れません。
世界の見方が変わるようなきっかけがない限り、自分が知覚できるもの全体のことを全世界だと思ってます。だから世界の本当の姿がそんなものではないことをイメージするだけで頭がクラクラしてきます。
よく芸術家のことを創造的といったりします。これは芸術作品を生み出すから創造的だといっているのではなく、その作品によって世界の見方が揺さぶられ、鑑賞者の感覚が新たになり、新しい世界がたち現れるから創造的なのです。
だから世界を生きるにはつねに世界観を更新するための芸術が必要なのです。芸術を破壊する活動は世界を破壊する活動と同じです。背に腹はかえられないからと、短期的に実利が発生しない活動を抑制すると人間は窒息します。
「自然は最高の芸術家」とか「子どもはみんな芸術家」とかあたりまえで、世界の見方を変えるきっかけになるものならなんでも芸術です。
恋愛は世界ががらりと変わる
たいていの人が経験している、世界ががらりと変わる芸術といえば「恋愛」に勝るものはないでしょう。「恋愛」するだけで世界がかわります。イメージも行動も、相手があることが前提になればなるほど、それだけ芸術的になります。
世界のことはだいたい探索されていて検索すれば大抵のことはわかるようになっているつもりだったのに、一緒にいる人が考えていることさえ本当には分からない。人間のわかる範囲なんて限られたものだということを実感します。
でも自分なりに「きっとこうなんだ」とか「こうしたい」という考えを持つから恋愛したり世界に気づいたりできるわけで、まずは自分の考えがないことには何も始まりません。
間違っててもいいのです。というよりも世界のことが本当にはわかっていないのですから、絶対あっているなんていえたものではありません。世界の一部を垣間見ることができるたびに世界観を更新していくことしかできないのです。
世界から重みがなくなってしまう、つまり世界観が大きく更新されるような体験を何度持つことができるのか、これが「うつわ」というものの正体です。
思考停止がゾンビをうみだす
自分はほんの一部のことしかわかっていないということを頭の片隅に置きつつ、そのときどきの精一杯の自分の考えをもつ。これがブレない生き方につながります。
ブレないというのは、いつも同じということではなく、世界との向き合いかたが一貫していること、簡単にいえばその人らしさがコロコロ変わらないということです。
だから思考停止しているかのような、おなじ反応を繰り返しているだけの人はブレない人とは違います。
みずみずしい人間的な反応のないひとはゾンビです。自分の人生を生きていない人がゾンビになります。ゾンビは簡単に伝染します。媒介するのは「常識」です。「常識」がゾンビを生みだし、世界を腐敗させます。
だからつねに芸術に触れていましょう。本物は触れた瞬間にわかります。世界が一新されますから。
(2018-10-03 追記:当たり前のことに違和感を感じるのは新たな時代のために必要な才能に、この記事に続きにあたる内容を書きました)