勉強をする意味
義務教育もありますし、みんな当たり前のこととして学校に通っています。最近は学校で勉強するだけでなく塾に行くのもどんどん当然化しています。
なんでそれが当然なのでしょうか。
有利になるための勉強
結局入試対策のための学校、塾なのであって、入試さえ突破できればいらない知識だと思っている。
その証拠に NewsPicks の佐々木紀彦編集長が JPIC YOUTH での講演で、日本の学生の力は高校まではトップレベルにあるけど、大学入学以降ガクっと下がってそれまで日本よりも下位につけていた諸外国にどんどん追い抜かれていく、と言っていました。
きまった障害物を処理する方法を金で買っているのと同じことで、なぜそうするのかという視点はありません。損しないで生きていけるようにすることだけに血眼になっている。
他者に評価されるのが前提としてある
その場だけやり過ごすことができればいいという考え方に流されていくのは他人の目が気になるからでしょうか。情報化社会になったからでしょうか。
情報の編集者はどんどん増える。その分一次情報の割合が減っていき、発信する人の価値が上がっていくことになります。
人に評価されることを前提に、そのことに意識的に生きていく人が増えていっています。本当はどこにもいない見えない評価者の視線から自分がどう見えるのかということにいつも注意を払っているのです。
周りの目を気にした当たり障りのない批評をすることに長けていくので、コミュニケーションの方法がもっぱら批評になっていきます。SNS 疲れも当然でしょう。
これが本当の自分とは違う、周りに見せるための自分を演じることに疲れてしまうということなら未来はまだ明るいです。
見せるネタを作るための行動ばかりになってしまっているということでも自覚的であれば大丈夫、自分自身でのどうにでもできます。むしろ一次情報の発信者という意味では舵のとり方しだいで社会の未来を方向づけるようなすごいベクトルになるかもしれない。
評価を気にするだけではほとんど人間ではなくなってしまう
厳しいのは SNS が気になる自分が本当の自分だと思っている場合です。これはエサが出てくるボタンを押し続けるサルの実験結果に近い状態においこまれています。つまりもうほとんど人間ではない。本当の自分がわからなくなるどころの話ではありません。
そもそも一次情報の発信者には人間らしい人間であるということが必要です。
人間らしい人間というのはこれまでの人間が営々と積み上げてきた貴重な遺産を自分のものとしてたたみこんでいるうえで、そこにさらに自分の人生を使って得られたものを加えていこうとすることです。
そしてこれからの世界は一次情報以外のところはAIにおまかせになるので、一次情報の割合が減っていく以上に発信できる人が貴重になっていきます。
これからの世界で生きる力は
子どもを有利に生きていけるようにしてあげたいと思っている親たちが、とりあえず入試を突破することがもっともわかりやすくて対策もたてやすいから、そっちにばかり流れていくのは無理からぬことではあります。
でもこれからの生きる力はそれだけではちょっと厳しい。そもそも教育は受験テクニックを教えることではなく、世界の存在、社会の成り立ち、それらと自分との関係を伝えることです。
つまり自分が人類の遺産として何を加えられるのか知るためにできることが勉強なのですが、学生真っ只中だとそんなこと考えてる余裕がありません。
というか、これは自分が学生だったときのことを思い返してみても、考えようと思ったところでそんなこと考える時間があったら勉強しろというプレッシャーをかけられるので、むしろ考えないように仕向けられていたように思います。
自分が学生の頃の実際
実際の話、世界史の先生が授業中に「日露戦争になっていく流れの中で列強がなにを考えて動いていたか、○○という本を読むとよくわかります。しかもこれがおもしろいんだ。」といっていたのを受験勉強をしているときに思い出し、本の名前を教えてもらおうと電話をしてみたら「本のタイトルは『坂の上の雲』だけど、本なんか読んでるヒマがあったら英単語を覚えたほうが受かるぞ」と言われました。
教育者からしてこんな調子だから日本人には教養がないといわれるようなことになってしまったのでしょう。
ただ僕の先生の名誉のために補足しておきたいのですが、先生が本を紹介したのは授業中のことです。僕が受験に役立てたいから本のタイトルを教えてほしいと電話したから合格するのにより役立つ方法をしめしてくれただけです。
身振り手振りだけでなくときには寸劇までまじえたエピソード満載の楽しい授業をしてくれた良い先生で、それまで僕は歴史なんて昔あった出来事をただ覚えるだけの教科の何がうれしいのかまったくわからないと思っていたのですが、先生の授業をうけてからは、いまに直結していて現在も進行中の人間のいとなみについて知るものであり、何がどうなっているのか、なぜそうなのか、これからどうなっていくのかといったことを考えたいときに必須の知であることを理解するようになっていきました。
そんなすばらしい先生が受験についてアドバイスしなければならなくなるような現在の教育システムが教養のない日本人を作っている、というのが正しい言い方でした。
ちょっとまだまだ続きそうなのですみませんが続きはまたページをあらためます。
(2018-10-04:あらためました。→ 教育に期待することと、最高の成功のかたち