マシュマロ・テストの再現実験から、「やりたいこと」はやりたいと「おもわされている」だけかも、と思う
その「やりたいこと」は、もしかしたらやりたいとおもわされていることかもしれません。
自分で望んでしたことがもとになって望まない結果になってしまうことはよくあります。
でもこれは本人のせいだとばかりはいえません。その人の世界の成り立ちによっている部分が大きいのです。
セルフコントロール計測実験として有名な「マシュマロ・テスト」
マシュマロ・テスト、またはマシュマロ実験という有名な実験があります。こういう内容です。
被験者である子どもは、気が散るようなものが何もない机と椅子だけの部屋に通され、椅子に座るよう言われる。机の上には皿があり、マシュマロが一個載っている。実験者は「私はちょっと用がある。それはキミにあげるけど、私が戻ってくるまで15分の間食べるのを我慢してたら、マシュマロをもうひとつあげる。私がいない間にそれを食べたら、ふたつ目はなしだよ」と言って部屋を出ていく。
(wikipedia「マシュマロ実験」より引用)
この実験は20世紀の中頃に実施されました。 そして20世紀の後半をかけた追跡調査の結果、ふたつ目のマシュマロをもらえた子のほうがその後社会的に成功している割合が多いことがわかリました。
なぜそうなのか? 2018年に再現実験の分析が発表されるまでは単純に我慢しないで食べてしまった子よりもふたつ目のマシュマロをもらえた子のほうが自分を律する能力が高いからだとされていました。
つまりマシュマロ・テストは、動物的な反応と人間的なコントロールがせめぎ合う状況をつくり、実験台の子がどっちをとるかみて、衝動に負けたほうが劣っていることを証明したとされていたわけです。
「衝動に押し流されるタイプ」というレッテル
これは自分らしく生きることと関係しています。目の前の欲望に衝動的に従ってしまっている状態を自分らしいと思う人がいるでしょうか。
「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」というキャッチも、衝動に流されて覚醒剤を使用してしまうのは理性のある人間のすることではないという前提があるからこそ効果的に響きます。
つい甘い物を食べてしまうことや、愚痴を言ってしまうこと、怒りを感じたときに冷静でいられなくなることなども、衝動に押し流されているということになると思います。
誰もそんな状態を本当の自分らしいとは思わない、つまり本当の自分は自分が自分らしくない状態にあることを知っています。
結局自分がどう感じているのかがすべてなのです。流行しているものだから良いものなのだろうとか、こういうときにはこうするものと決まっているのだから従わなくてはならないとか、人と違っていることは恥ずかしいことだとか、そういうことは本当の自分とは一切関係ありません。
自分の外のどこかに判断基準を預けてしまうと自分らしさはどこかにいってしまう
以前なつかしい友だちからメールがあって、返信でちょっと近況を伝えるつもりでこんな内容のメールを送りました。
最近じぶんで音楽を聴くときはクラシックが一番多いよ。良さがだんだんわかってきて、なんというか個人的な真実を発掘してるような気がしておもしろい。時間なくてなかなか発掘できないんだけど。
流行してるわけでもなく、知人との会話で話題に上がったわけでもない、まったくの孤独な状態で偶然に感じる個人的な衝撃、評判とか常識とか圧力とかと無関係に衝撃を感じたこと、その感じ方が自分らしさであり、自分にとっての真実ということです。そこに他人が決めた評価軸や価値観が入り込む余地はありません。そこにあるのは誰も侵すことができない本当の自由です。
返ってきたメールでは少しガッカリしました。
クラシック!!!音楽を嗜好しているとそこに行き着くものなのかね。しかも!真実を発見する感覚って、分かる気がする。世界のあるべき姿とか、本質とか、クラシックはそういうものを示してくれている感覚があります。
僕は「個人的な真実を発掘してるような気がしておもしろい」としかいってませんし、ほかに何も説明していませんし、僕の送ったメールのメインの内容はほかのところにあったので、反応してくれただけでもやっぱり友だちなんだな、通ずるものがあるんだなと思いました。
しかし、だからこそ、「真実を発見する感覚って、分かる気がする」といいながら、本当の自分にとっての真実を自分の感覚から発見するということではなく、真実がどこか自分以外のところに転がっていると思っているのが残念でした。
セルフコントロール能力計測実験の落とし穴
マシュマロ・テストは再現実験が行われました。いまは実験結果と社会的成功とが相関関係にあるというよりも、両方とも同じ原因による結果としてあらわれている、とされています。
「2個目のマシュマロを手に入れたかどうか」は被験者の経済的背景と相関が高く、長期的成功の要因としては「2個目のマシュマロを手に入れたかどうか」よりも被験者が経済的に恵まれていたかどうかの方が重要であったこと、「2個目のマシュマロ」と長期的な成功は原因と結果の関係ではなく、経済的背景という一つの原因から導かれた2つの結果であったこと、が示された
(wikipedia「マシュマロ実験」より引用)
「貧すれば鈍する」といいます。追い詰められてゆとりがなくなった人間がどうなっていくのかを端的にあらわしている言葉です。
「セルフコントロール」という幻想
衝動に押し流されている人がみな本人の責任で選択した結果を生きていると決めつけるのは差別であり暴力です。
隷属なき道という本に、ホームレスにお金をあげる実験のことが書かれています。
もらったお金はすべてくだらないことに使いきってしまうだろうという専門家の予想とはうらはらに、生活基盤の整備や自己投資に使われることが多く、ホームレス生活から脱出する人が続出したのです。
個人的な真実
あのメールから一年が過ぎました。いまぼくははあまり音楽を聞くゆとりを持てない生活をしています。
僕にメールをくれた友だちがどれほど自分の人生を生きているのかは、メールだけではわかりません。
お互いにもう少しゆとりをもつことができたときに、お互いの真実をわかちあうことができたら楽しいだろうなと思います。